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12月もいよいよ残すは10日ほどと押し迫ったとはいえ、
特に何の変哲もない日となるはずだった。
いつものように勘兵衛と久蔵をそれぞれの居場所へと送り出し、
久蔵は午前中だけの、武道場の大掃除という登校だったので、
昼餉に間に合う帰宅となろうかとの話であり。
一応、玄関前にて確かめてから、
気をつけてねと柔らかな笑顔でもって送り出した七郎次。
その瑞々しい風貌から年齢不詳で通っている彼だが、
つややかな金の髪をうなじに束ね、
すべらかな頬をさらした細おもてのお顔は、
確かに端正で若々しく。
しかもしかも、立ち居が優雅で繊細な上、武道で慣らした切れもあるがため、
そんな所作もまた、彼の若々しい風貌を際立たせており。
彼のみが留守居となる昼間の島田家をさりげなく取り囲み、
万が一にも危険な何物かが忍び寄らぬか、
思いも拠らぬ災禍が、不意を突いての飛び込まぬかを警戒している顔触れが、
ああ今日も麗しいお方だなぁと、微妙に緩みつつも(こら)
声も立てずの無心に務め、静かに静かに見守っていたのだが。
「…?」
洗濯やお掃除といった家事を一通り済まされると、
今日はいいお日和だったのでと、
テラスまで出て、ポーチに並べた小さな鉢植えの世話に取り掛かられる。
木綿のエプロンは、使いこなれてこそいるが、丁寧に洗われていて、
清潔な白が七郎次の清楚な佇まいにはよくお似合い。
白い手に作業用の軍手をはめ、
赤や黄色、淡い紫に白と、花の形も色も様々な、プリムラという花を、
1つ1つ念入りに確かめておいでだったのだが。
「……、…。」
ふと立ち上がって、まだまだ緑の多い、
お庭のほうへと歩み出されたのは、
お隣りの誰かが姿を見せでもしたからか?
いやいや、それはないだろう。
確か、隣人の片山五郎兵衛と林田平八、両氏は、
数日前から注文のあった車の搬入をしがてら、
日本海のほうへ、新鮮な海産物の仕入れにとお出かけ中。
おせちに要りそうなエビや数の子やその他色々、
ブリにマグロにと美味しいところを仕入れて来ますからネと、
七郎次へわざわざ言い置いての遠出であり。
そんな確認を示し合わせている間にも、
刈りそろえて数日という芝草の上、さくさくと、
すらりとした肢体を機敏に運んでいった主夫殿だったのだが、
「あ……。」
不意に立ち止まると、やや頭上を見上げたそのまま、
その場へ へなへなっと頽れ落ちてしまったから。
「…っ。」
「七郎次様っ、」
一応は見とがめられぬよう、周囲を警戒してからながら。
主人格の大事な御仁の一大事だと、
木曽と駿河の見守り班の代表格が、それぞれに飛び出しての駆け寄れば、
「大丈夫ですよ、高階さん、ひのえさん。」
綿のズボンの膝をつき、正座半分、座り込んだままではあったが、
何とか身を起こした七郎次は、存外はっきりとした声を出す。
ただ、
「驚かせてすいませんでしたね。
ですが、こうでもしないと、私の前へ現れては下さらないでしょう?」
「…………はい?」
「…っ。」
何を仰せかと怪訝そうに聞き返した高階氏は、
日頃からも素の顔で接する機会が多くてピンと来なかったらしいが、
ひのえと呼ばれた側の男性は、
虚を突かれたこと悔いるような、少々渋い表情となり。
それをこそいたわるように、はんなりと微笑った七郎次が、
そのまま柔らかな声で紡いだのが、
「判っております。
監視しているワケではないと、私を護衛して下さっているということは。」
「あ…。」
そう。いくら、大切なお人だからという護衛であれ、
その行動を24時間の四六時中、じっと見据えられているだなんて、
監視と紙一重な仕打ちとも言えて。
だがだが、万が一ということがあってからでは遅いからと、
勘兵衛と久蔵がそれぞれに、こちらの地元で自分たちの手足となってくれる顔触れ、
総称として“草”と呼ばれる要員の方々を、そんな役目へ配しておいで。
とはいえ…こちらの七郎次といえば、
いまは亡き諏訪の支家の直系であり、駿河のお家で様々な鍛練も積んでいて、
一般人扱いしては失礼なほど、練達の君でもあるのは広く知られており。
大の大人で、腕に覚えもある男性を掴まえてのこの仕打ち、
十分侮辱に値するやも知れぬこと。
そこへと気づいてだろう、
「…………。」
「…………。」
駿河と木曽と、双方の機転の利く“張り番部隊”の班長お二人が、
ついつい黙りこくってしまったのへと、
こちらからの意は通じたらしいとの感触を得たらしい七郎次、
「そこで…お二人へお願いがあるのです。」
唐突にそんな風に切り出したものだから。
こうまでしてのあらたまって、一体 何の話だろうかと畏(かしこ)まれば、
「今日一日だけ、わたしがどこへ行くのかを追わないでほしい。」
「…っ。」
「それは…。」
でしたらと、高階氏が胸元のポケットから何かしら取り出しかけたのへ、
「そのストラップも預かれません。」
「…っ。」
「?」
ひのえ殿が意外そうに目を見張った辺り、
駿河の草には知らされていなかった、木曽側の手筈がやはりあったようで。
「ですが…。」
「危険なことはしませんし、
ちゃんと自力で…自分の意志で帰っても来ます。ただ、」
ほんのちょっぴり。
心持ち、どこか寂しそうに目許をたわめて小さく微笑った七郎次は、
「…勘兵衛様の全く知らぬところに、しばし身を置きたいのです。」
そんな風に付け足したのだった。
◇◇◇
お二方を始めとして、
こちらへ詰めておいでの皆様には、
お役目を果たさねばならぬというお立場もございましょうが。
それでもどうか、この我儘をお聞き入れ下さいませ。
今から、そうですね…2時間は、
この場からどなたも動かれませぬよう、約束して下さい。
『そうでないと……、』
わたくし、自分自身に向けて何をするか判りませんよ?と。
自分を楯にするなんて、これ以上はなく卑怯なことと判っておりますが、
ですが、私には自分以外に侭に出来る物というのがありませぬ故と。
それは目映くもきれいに微笑ってお言いだったので、
どう解釈したものか、判断に困ってしまったお二人だったようで。
「……。」
七郎次本人と実際に対面したひのえ氏からの補足もありの説明で、
勘兵衛にも事態はやっと呑み込めて。
ついでに言えば、学校から帰ったその身へ、
いきなり突きつけられたこんな現状へ、
久蔵もまたたいそう衝撃を受けたらしいことは明白だったのではあるが、
「何を訊きたいかは判ったが、あいにくと儂にも覚えはないぞ。」
睨んだそのまま射殺してやるといわんばかりの凝視を向けられて、
だがだが、そんな久蔵以上に、
何がなにやらという心情にあまり変化はないままの勘兵衛。
あの心優しい青年は、情愛も深いがそれと同じほど忠誠心も強いものだから。
時折、忘れたころに、自分と勘兵衛との間柄へと思い悩む節があり。
こたびもそれがらみの失踪だというのだろうか。
だが、それにしては、様子が微妙におかしくないか。
自分でちゃんと戻ると言い置いたそうだし、
行き先だけ、知られたくはないという運びとも解釈できて。
“一体何があったというのだ。”
ああまで我慢強くて献身的だった七郎次が、
勘兵衛の及び知らぬところへ身をおきたいなどと言い出すなんて。
“この自分が、何かしでかして彼を怒らせたということか?”
プライベートに限った行動範囲はさほど広くない彼のはずだが、
携帯へと掛けている電話が一向に通じないままだし、
勘兵衛へと背を向けたとして、久蔵にまで連絡なしというのが気に掛かる。
それは案じる彼だということ、七郎次にも判っていように。
“一体どこへ向かったというのだ。”
車窓から見遣った冬晴れの空はだが、彼らの焦燥なぞ知りもせず。
ただただあっけらかんと晴れ渡っているばかり…。
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*七郎次さんたら、一体どこへ雲隠れしたのでしょうか。
そして、このお話、クリスマスまでには書き上がるのでしょうか?(おいおい)

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